にっき

黒歴史かもしれないけどやるしかない

10/13

 

10/13日

 

思い立って投稿

 

昔から「大人になると薄れる記憶」を自分だけは忘れたくないと感じ、iPhoneにメモをほんの少しずつ取る日常を送っていたが、短文で収まる記憶はどこか物足りずもっと本質的なことを残しておきたいと感じこの日記を書く。

 

自分の死後、自らの生きざまをこの世に・身内に・後世に残すのが遺書であるが、そのの逆に未来の自分にむけた手紙やメモを残す事は思い立っても行動まで結びつかない。なぜならあまり必要性がない。経験を積んだ未来から現在や過去に手紙を残すならまだしも、大の大人と比べたら浅はかでさほど知恵もない19歳が未来に向けて残すような大層なものはさほどない。じゃあ人生設計でも書いて時々見比べて方向修正をするためのアイテムを残すか。それこそ無意味。なるようになるし人生設計なんて2次元のキャラクタープロデュースとさほど変わらない気がする。偶然であった人に紹介され職を変えたり、ふと思い立って田舎に住んでみたりなんかしたら設計者も頭を抱えるだろう。所詮その程度。たられば論の娯楽遊び。

それでもたまーーーに「あ、これ忘れちゃいけないやつだ」「いま思い立った純度の高いこれは歳を追うごとに腐って忘れていくものだ」なんて思っちゃうときがある。道徳感とか「人として論」とか考えるとこれと言ってピタっとあてはまる言葉が見つからないけどもまあとにかくある

 

それを書き残しておかないと未来の自分が、iPhoneにかかれたたった数行の思想を「空気に触れているコップの水面だけをすすって昔の自分を理解した気」になってしまう気がした。かといって何が大きな伝えたいものがあるかといえばなくて、それが絶対的に意味深い物かと言われれば正直言いきる自信はない。ただ一つ言えることは結果は同じでも昔の自分とズレた解釈をしてほしくない。できるだけすべての過去の自分の意志を汲める場が必要だと思う。おそらく必要になるときがくる。たぶん

 

<具体例を出す>30・40歳のある程度社会的地位を得て金を稼いでいる世代に自分自身がなるという現実は今現在考えるとかなり恐ろしい。20代後半からの人生で社会というものに本格的に触れるにつれて思想や行動が大きく変化していくだろう。偶然その未来に辿り着いたにすぎない現状や社会的地位を軸とした意見や思想に呑まれ、ある意味盲目になってしまうのではないかと考える。金や地位や環境はとても人を変える。というよりもそれらに人間が順応していく気がする。社会人になれば、社会人になって経験したことがすべてだといわんばかりの発言をしてしまうかもしれない。社会に属さない人間に対して排他的な思想を持つかもしれない。金をもった生活をしているなら安易に金は大事だと脊髄反射で発言してしまうかもしれない。金を使った幸せを感じることが多くなるにつれてよく考えもせず短絡的な結果を口走ってしまうかもしれない。ぱっとみの結果や執着地は昔と変わらないとしても、思考を停止し結果だけを淡々と述べているかもしれない

 

このようなことは16あたりから考えてきたきもするが19の今まだまだ日常の会話でポロリとこぼれてしまうことがある。生活の中でふとそのような自分の発言を思い出し後悔したり失望したり恥じたりする事が本当に多い。頭を洗っていても思い出し手の動作が乱れる。ベッドで眠りに入ろうとしている最中も頭をよぎり寝返りをうつ。薄々気づいていたがもうこれは完全には治らない病気みたいなものなんだろうと思う。人間全員が生まれながらに持っている病気。薬を飲もうが何をしようがボロがでてしまう病気

 

ありふれた当たり前な現象だからといってしょうがないで済ませたくない

だれがなんと言おうとも本質を忘れたくない 安泰でいたくない 安心のために他の何かを盾にして結果の一言で済ませたくない 思考を停止したくない

 

たった2・3行で済む話 それでも多くをくみ取ってほしい